2012年5月24日木曜日

「ナクソス島のアリアドネ」       著作権裁判の顛末(6)


日本ショット社は期限ぎりぎりに控訴する。一審では若い弁護士であったが、控訴審では著作権問題のベテラン弁護士を立ててきた。控訴審では前述の争点のほか、音楽著作物の譲渡の法的性質、音楽出版社の利用開発機能の一般的な著作権事案との相違点などを主張してくる。
控訴審は2ヶ月あまりで結審し、6月19日に再び日独楽友協会全面勝訴の判決がある。大筋では一審判決と同じ判決理由であるが、東京高等裁判所は以下の点において、より合理的な判断を下している。
(前略)仮に,控訴人の主張するような,独占的管理権をフュルストナー・リミテッド,ひいては,控訴人が有していたとしても,戦争という特殊な社会情勢のため,フュルストナー・リミテッドないし控訴人が,本件楽曲の著作権を日本において行使し得ないという状況の下では,日本において同著作権を行使する権利を,リヒャルト・シュトラウスに認める,というのが,本件基本契約についての合理的解釈であるというべきである。(後略)

すなわち戦争中の著作権の実際的な所在について、私の主張がより認められたことになる。
原告は上告するが2003年12月19日、最高裁判所第2小法廷の4人の裁判官が、上告審を受理しない決定をし、高裁判決が確定する。1年半足らずのスピード判決でもあった。私は自分ですべての書面を書き、相手方の書証を読み、ドイツ語や英語のものは相手側の訳によらずに翻訳もした。裁判所にも何度も通うことになったし、資料を集めたり六法全書を読んだりと膨大な時間を費やすこととなった。しかし、弁護士を代理人に立てることはなく、どうしてもわからないときは1回5千円の相談料を払って数回相談に行っただけである。費やしたお金は10万円にも満たないだろう。請求された88万615円も払わなくてすんだ。対するブージー&ホークスとその代理店である日本ショット社が失ったものは大きい。有名な弁護士を代理人に立て、資料を取り寄せ、イギリスやドイツの弁護士に原告よりの意見書をいくつも依頼し、欧文の書証は翻訳事務所に依頼して翻訳させたのだろう。裁判に費やした費用だけで数百万円は下らないだろう。そしてこの裁判の結果、2011年まで著作権を主張していたシュトラウスの中期のオペラ(サロメからアラベラまで)と後期の作品(4つの最後の歌、メタモルフォーゼンなど)を含むすべての作品について日本での著作権が終了していることが確認された上、同じ状況で著作権を主張しているフィッツナー、バルトーク、ワイルなどの作品がグレーゾーンとなった。さらに、2000年1月1日以降に徴収した著作権料などを返還しなくてはならなくなった。1994年に来日したウィーン国立歌劇場が「薔薇の騎士」6回分の著作権料としてブージー&ホークスの代理店に支払った金額が2348万4000円だったことを考えると、これらの合計は少なくとも数十億円に上ると思われる。日独楽友協会の勝訴によって、これほどの国富が流出することが防げたかと思うと大変に誇らしい気持ちになる。

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