2012年2月16日木曜日

京都市交響楽団(5)         コントラバスを持って走るアルバイト

初日の練習は21時に終わって練習場の鍵を閉めて外に出ると22時過ぎになる。広上氏は終了後も私と何も言葉を交わさずに控え室に入り、タクシーに乗り込んで練習場を後にした。事務局員が車寄せに並んで深々と最敬礼し、私もそれに従った。仕事の後はほぼ連日、音楽主幹の新井氏と飲みに行っていた。

翌日も練習は15時30分スタートだったがこちらは9時半には出勤する。仕事が始まって9日、予定表ではこの間に公休日が4日有ったが、事務局のシフトが決まらないので実際は休みは1日もなく、事務局全員が毎日出勤していた。新井氏は「全員が集まって話し合いがもてないので、シフトが決められない」と言っていたが、はじめからシフトの決め方に異論があって話を持ち出すのが億劫な様子だった。話し合っているよりも音楽主幹、副音楽主幹の二人が毎日出勤していれば何とかなるという様子だった。練習場での仕事には徐々に慣れ、面接の時とは違って女性陣の中にもこちらから「おはようございます」と挨拶をすれば、顔を見て挨拶を返してくれる人も現れた。京都市交響楽団はこの年から京都市音楽芸術文化振興財団に移管されたため、事務局機能の一部は京都コンサートホール内に移され、業務や会議が2カ所で行われるため、仕事の能率はすこぶる悪かった。しかし、桜が満開の鴨川の土手をコンサートホールまで往復すると、事務局内の雰囲気を吹き飛ばしてくれるくらい絶景で、気が紛れた。

仕事の方はファイルが持ち去られたのではかどらず、私はライブラリや楽器など備品をリストと照らし合わせたりして練習の開始を待った。2010年度の定期演奏会のプログラムなどがほとんど決まっておらず、新年度を迎えてやらなければならないことが沢山あるはずだったが、事務局全員で集まって話し合いがもたれることもないまま、1週間以上が過ぎていた。何より広上氏の意向がわからなければ翌年の予定など立てられるはずもない。

信じられないことに雇用契約書がまだ交わされておらず、正式な雇用の条件もまだ伝えられていなかった。仕事が始まって10日あまりになるのに健康保険証もまだ渡されていなかった。ホリプロの子会社はもちろん、ブラック経営で話題になっている高崎の堀越学園ですら健康保険証は赴任したその日に用意されていた。さすがに事務に電話をして早く健康保険証を用意し、服務規程や自分の等級が何級何号になるのかなどを教えてくれる様に要求する(健康保険証は結局ゴールデンウィーク明けまで渡されず、子供が風邪をひいて受診の際に無保険扱いになったり面倒なことが起きる)。

出町ふたばの豆餅は受けが良くなかった様だが、私も武蔵野音大で鍛えられただけ有ってそのくらいではへこたれない。翌日はクレームデラクレームのシュークリームを買って指揮者控え室に届けた。この日は一言二言会話することができ、広上氏はどうやらシュークリームは気に入ってくれた様だった。翌日のスプリングコンサートの際に新井氏から「大阪公演の後に広上氏と飲みに行くことになったので直接話ができる」と伝えられる。

スプリングコンサートは私がマネージャーとして立ち会った京都市交響楽団の初めての公演となる。しかし、音楽主幹の新井氏をはじめ事務局のほとんど全員がフロントに配置されたため、舞台裏の進行がどうなっているのかはほとんどわからなかった。しかもフロントに配置された平竹耕三ゼネラルマネージャーをはじめとするマネージャー、事務局長達の仕事とは主に来賓に挨拶することであり、一般客も多く来場する通路に並んで副市長など京都市幹部、スポンサーなどには深々と頭を下げ、一々紹介や挨拶が続いた。事務局員や私は入場者に定期演奏会の案内を手渡す様に指示された。それ自体は必要なことなのだろうけど、私はむしろ舞台裏の進行がどうなっているのかが気になった。しかし、汗ばむ様な陽気で桜も満開の中、スプリングコンサート自体は無事終了した。

ところで、京都市交響楽団の練習場は烏丸鞍馬口から鞍馬口通りを入った鴨川沿いにある。京都市交響楽団のホームグラウンド、京都コンサートホールまでは歩いても行ける距離だがホールには楽器庫も練習室もなく、また同じ財団が管理しているのにホールリハーサルはごく稀である。楽器楽譜は練習の度にすべて移動させなくてはならない。翌々日の大阪公演の練習のため終演後大型楽器や打楽器をトラックに積み込み、練習場に移動させる。その際に小さな事件が起きる。アルバイトの学生達がコントラバスを持って走っているのに遭遇したのだ。京都コンサートホールの搬出口は舞台下手側(客席から見て左側)にある。スプリングコンサートでコントラバスは右側配置だったので打楽器の搬出と導線が重ならない様に、コントラバスは舞台上手から運び出し、舞台裏のホワイエを通過して搬出口に運ばれていた。ステージマネージャーの日高氏の他にアルバイトが2、3名入っているが、確かに搬出口までの距離が長いので、7本のコントラバスを運び出すのに時間がかかる。しかしコントラバスを持って舞台裏を走るというのは私から見ると常識外れだ。もし何かにぶつけたり、転んだりして楽器を破損すれば翌日の練習や次の公演にも影響が出る。何本目かのコントラバスを持って走っているアルバイトに「楽器を持って走らないでくれるかな」と声をかけるが、何の返事も反応もない。仕方がないので搬入口で積み込みをしている日高氏の所に行く。「アルバイトに楽器を持って走らない様に言ってくれますか」私の言葉に対して日高氏は不愉快そうに言い返した。「うちはずっとこうやっていますから」。私は耳を疑った。

(続く)

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